ご注文番号:19356
刀:白鞘入り、拵え付き(委託品)(保存刀剣鑑定書)(保存刀装具鑑定書)
銘:帝室技芸員菅原八十五翁作(菅原包則) 大正三年十月吉日
当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は菅原包則としては上々作にランクされる作品です。
研磨済み
登録証番号:
はばき:金着一重
刃長:69.7センチ
反り:2.6センチ
目釘穴:2個
元幅:2.88センチ
先幅:2.01センチ
重ね:0.67センチ
刀身重量: 580グラム
時代:大正時代3年(1924年)
体配:身幅、重ね尋常な反りが深く付き切先が延びた体配の良い太刀です。
地鉄:板目肌の杢目肌が交り地景が激しく入り肌目が則重風に練れて特に肌目が良く見て取れる。
鎬地:板目に大板目肌が交り地景が入る 地金と同様な地金。
刃紋:錵出来、丸みを帯びた互の目乱れに足が良く働く。
帽子:のたれて丸く返り先、掃掛となる。
特徴:菅原包則は1830年天保元年に伯耆国大姉に生まれ名前は宮本志賀彦と称する。
後に横山祐包に入門し技術を習得する。
師の祐包より包の一文字を得て包則と銘を名乗り1857年安政4年27歳の時に鳥取に戻り鳥取藩家老・伯耆国倉吉領主荒尾志摩守の抱工となる。
明治となり1871年(明治4年)廃刀令により作刀の機会が激減したため、倉吉に戻って農具や包丁の鍛造で口糊をしのぐなど苦境の時期を過ごすが伊勢神宮の神宝を靖国神社で鍛える機会を得て明治天皇から高い評価を得た。
その功によって1907年(明治39年)4月には月山貞一(初代)と共に帝室技芸員となり短刀を中心に数多くの作品を制作した。
大正15年10月24日97才の高齢で没した。
本作は通常の短刀とは異なり出来が極めて良い作品です。
拵: (保存刀装具)
梨地 桜花唐草文蒔絵鞘
毛抜太刀拵 総金具 桜花唐草図
縁銘 皆具 宮田信明 紀元2600年
目貫:毛抜形桜花紋図
鍔:四方花頭紋図 無銘
大切羽:四方猪目透 桜唐草図 無銘
葵美術より一言:日本に刀剣で国宝といえるものが出来た時代は明治39年に帝室技芸員という名目で月山貞一と菅原包則の二名が選ばれております。
月山貞一はかなり数多くの作品を製作しております。
菅原包則は多作家ではなく丁寧に作品を製作する傾向があり特に皇室関係の為に製作したと云われております。
本作は所謂肌物とよばれる作品で板目、杢目、大杢目に地景が激しく働くなど一見すると則重を思わせる作品と云えます。
月山貞一が綾杉肌で有名な刀工となりその肌物である則重を思わせる肌物で有名な刀工としての揺るぎない地位を確立した。
その地金を見る時とても大正期の作品とは見えない素晴らしい作品です。
拵えは毛抜き太刀で梨地 桜花唐草文蒔絵鞘に素晴らしい金具を使用して(宮田信明 紀元2600年)その出来は大正期の最上作とかんがえられる見事な太刀拵えです。
製作当時からこの太刀に合わせて製作されたと考えられ誠に見事な作品と云えます。
是非お求め下さい。 圧倒される最上の出来と考えます。
太刀及び拵え共に保存刀剣、保存刀装具が付いております。
時代背景:大正3年 明治神宮外苑競技場は東京青山の明治神宮外苑内に1924年(大正13年)に完成し1957年(昭和32年)
に取り壊された陸上競技場で良く58年に完成2015年に取り壊された国立競技場の全身にあたる施設。近代日本に於ける最初
の大規模なスタジアムであった。
保存刀剣鑑定書
保存刀装具鑑定書
葵美術正真鑑定書:全身押し形
価格:1,800,000円(消費税、送料共)
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