鑑定書:Paper(Certificate): 特別保存刀剣鑑定書
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):武蔵国,東京都(Musashi) 江戸時代・天保八年(Edo era 1838)
刃長:Blade length(Cutting edge): 85.7cm(二尺八寸二分半) 反り:Curve(SORI): 3.0cm
元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.24cm 元鎬重:Thickness at the Moto-Kasane: 1.0cm
先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.50cm 先鎬重:Thickness at the Saki-Kasane: 0.75cm
茎:Sword tang(Nakago): 生ぶ、化粧筋違鑢目、目釘孔1
体配:Shape(Taihai): 中切先、鎬造、庵棟、姿抜群。
彫物:Engraving: 表裏に棒樋を彫る。
地鉄:Jitetsu(Hada): 板目肌よく詰む、地沸つく
刃紋:Temper patterns(Hamon): 丁子乱れ。
帽子:Temper patterns in the point(Bohshi): 乱れて先小丸に返る。
登録:Registration Card: 愛知県
【解説】本名は加藤八郎、寛政10年(1798年)~ 文久3年(1863年)加藤和泉守国秀の三男で山形藩工で濤瀾刃の名手であった加藤綱秀の弟です。長運斎と号し、兄と共に幕末の江戸で備前伝を得意とする一大流派加藤一門を築き上げました。彼ははじめ水心子正秀の門人となって江戸に移住し、後に大阪に上がり西国を遊歴して熊本に駐槌、安政3年に長運斎を息子の是俊、二代綱俊に譲り銘を長寿斎と改めました。文久3年(1863年)江戸麻布の上杉家中家敷でその生涯を終えました。初代長運斎綱俊は殊に備前伝では水心子一門を凌ぐ勢いであった云われ当時の第一人者と称えられた名工です。加藤一門は、甥の石堂是一ほか、固山宗次、高橋長信、青竜軒盛俊など数多くの優れた門人を輩出しました。
本作は、刃長が二尺八寸二分半という立派な長さで、身巾広く反りが利き踏ん張りがある太刀姿が誠に整った一振です。鎬地に刻された樋が刀身をキリっと引き締めています。地鉄は良く詰んだ小板目肌で潤いが有ります。刃紋は匂勝ちでの互の目乱れ刃紋で、柔らかい小沸が刃縁から刃にむかって微塵にこぼれるようにつき所々荒沸づいて輝きます。刃中には小足入り刃縁には金線が絡み働きも盛んです。帽子はそのま乱れ込んで小丸へと返ります。茎は生ぶで、化粧鑢がはっきりとして保存状態が良く、銘ぶりも鏨が確りと力強く最良ものということになります。本刀は、新々刀の歴史に深く名を刻む名工、加藤長運斉綱俊の長寸で姿が美しい、文句の付けようがない、最良の出来を呈した天保打ちの傑作看板刀です。特別保存刀剣鑑定書、金着二重はばき、白鞘
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