日本刀 刀 肥前國住武蔵(武蔵大掾忠広) (初代肥前忠吉) (与三左衛門尉祐定写し) (新刀 最上作) (最上大業物)
寛永八年八月日
日刀保 保存刀剣 NBTHK Hozon
品番:2410-1059
焦茶叩塗鞘打刀拵付き 白鞘入り
刃長 Blade length(HA-CHOU) 67.2cm (二尺二寸一分)
反り Curvature(SORI) 1.2cm
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA) 2.95cm
元重 Thickness at the Moto Kasane 0.61cm
鎬重 0.61cm
先幅 2.05cm
先重 0.41cm
茎 摺上
国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI) 肥前国:江戸時代前期 寛永八年 (1631)
hizen:The Edo era first half year.KAN_EI 8(1631)
登録 東京 第264047号 平成5年5月18日
鑑定書 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 保存刀剣鑑定書 平成五年十月十五日
【コメント】
武蔵大掾忠広は初代忠吉同人で初代忠吉は元亀三年(1572年)、高木瀬村長瀬(現佐賀県佐賀市高木瀬町大字長瀬)に生まれ、橋本新左衛門と称す。
肥前鍋島藩の抱え工で、慶長元年藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀、宗長は彫技を学んだ。
同三年に帰国し、佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに栄えた。
元和十年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めた。寛永九年八月十五日に没する。
初代忠吉は制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれる。 初期は「五字忠銘」といって「肥前国忠吉」の銘がほとんどで、秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字を真似て切った癖のある切銘のことを言う。 秀岸銘の後、「肥前国住人忠吉作」と切る「住人忠吉銘」となり、さらに、 晩年は武蔵大掾を受領し名を「忠広」と改め「武蔵大掾藤原忠広」と切る。
息子の近江大掾忠広以下、幕末まで連綿として続く肥前刀の開祖である。
当作品は変わり出来であり、元が乱れ刃、先がやや湾ごころの直刃調となる。
末備前の名工、与三左衛門尉祐定に範を取った作品と思われます。
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