日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon
品番:2410-1094
黒塗鞘打刀拵付き 白鞘入り
刃長 Blade length(HA-CHOU) 70.0cm (二尺三寸一分)
反り Curvature(SORI) 1.8cm
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA) 2.90cm
元重 Thickness at the Moto Kasane 0.67cm
鎬重 0.68cm
先幅 1.93cm
先重 0.44cm
彫物 表裏棒樋
茎 摺上
国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI) 肥前国:江戸時代前期 寛永八年 (1631)
hizen : The Edo era first half year. KAN_EI 8 (1631)
登録 大阪 第12950号 昭和28年11月18日
鑑定書 公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 令和六年五月三十一日
【コメント】
武蔵大掾忠広は初代忠吉同人で初代忠吉は元亀三年 (1572年)、高木瀬村長瀬 (現佐賀県佐賀市高木瀬町大字長瀬)に生まれ、橋本新左衛門と称す。
肥前鍋島藩の抱え工で、慶長元年藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀、宗長は彫技を学んだ。
同三年に帰国し、佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに栄えた。
元和十年、再度上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めた。寛永九年八月十五日に没する。
初代忠吉は制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれる。
初期は「五字忠銘」といって「肥前国忠吉」の銘がほとんどで、秀岸というのは僧侶らしく、この人の書く字を真似て切った癖のある切銘のことを言う。
秀岸銘の後、「肥前国住人忠吉作」と切る「住人忠吉銘」となり、さらに、
晩年は武蔵大掾を受領し名を「忠広」と改め「武蔵大掾藤原忠広」と切る。
息子の近江大掾忠広以下、幕末まで連綿として続く肥前刀の開祖である。
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