鑑定書:Paper(Certificate):保存刀剣鑑定書
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):美濃国(Mino)・室町時代末期、天正頃(Muromachi era about 1573頃)
刃長:Blade length(Cutting edge): 55.4cm(一尺七寸九分弱)反り:Curve(SORI): 1.2cm
元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.14cm 元鎬重:Thickness at the Moto-Kasane: 0.66cm
先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.60cm 先鎬重:Thickness at the Saki-Kasane: 0.55cm
拵全長:Length of Koshirae : 約 84cm 茎:Sword tang(Nakago): 鷹の羽鑢目。目釘孔2。
体配:Shape(Taihai):中切先、鎬造、庵棟。
地鉄:Jitetsu(Hada): 板目肌。
刃紋:Temper patterns(Hamon): 尖り互の目交る。
帽子:Temper patterns in the point(Bohshi): 乱れて返る
登録:Registration Card: 岡山県 昭和29年登録
【解説】濃州赤坂は現在の岐阜県大垣市にあたり、古くから金生山の中央部、更紗山(さらさやま)からは、石灰石とともに良質な赤鉄鉱が採掘されており、これらを用いた、製鉄の技術が伝わりました。つまり、この地方は原料の鉄に恵まれた、刀作りに適した地であったといえます。同地に永正年間(1504年~)頃、兼定、兼元などが出て、美濃鍛冶の双璧として活躍しました。両者共に後代まで同銘で引き継がれますが、特に技量的に優れ成功を収めたのが、三本杉刃紋で有名な二代兼元で、孫六兼元と称されております。本刀の兼元がどの人の作なのかは断定が難しいところですが、少なくとも室町時代の天正あたりの兼元を下ることは無かろうと鑑せられる一口です。
本作体配は、刃長が一尺七寸九分弱ほどの長さの脇差で、身幅は元先が広くしっかりとした体配でちょうど片手打として使い勝手が良さそうな、時代背景に合致した姿の脇差です。刃紋は、二代兼元の作の中に見る匂主体の焼頭が尖った互の目が交り小沸がつくもので、後代といわれる兼元に良く有り勝ちな、整った三本杉と称されるかたちとは異なる刃紋です。地鉄は、板目肌が練れて肌がよく現れ映りが立ち、やや白るなどし、伝法に則った作柄を顕著に呈しています。帽子はそのまま乱れながら小丸へ返ります。茎は保存状態が良く兼元の刻銘がきっちりと残ります。拵は写真の通りです。そう傷みが無くこのまま添えてお持ちになれます。白鞘、金着二重はばき、脇差拵、保存刀剣鑑定書。
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