鑑定書:Paper(Certificate): 第66回重要刀剣指定
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):山城国,京都(Yamashiro)・鎌倉時代後期 正応頃(Late Kamakura period about 1288~)
刃長:Blade length(Cutting edge): 70.8cm(二尺三寸三分六厘) 反り:Curve(SORI): 1.8cm
元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 2.55cm 先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 1.4cm
茎:Sword tang(Nakago): 切鑢目、目釘孔4個。
【重要刀剣図譜より】
法量 長さ七〇・八糎 反り一・八糎 元幅二・五五糎 先幅一・四糎 鋒長さ二・〇糎 茎長さ一九・八糎 茎反り〇・三糎
形状 鎬造、庵棟、身幅細身、元先の幅差少しくつき、重ね頃合、反り深く輪反り状つき、小鋒。
鍛 板目肌、処々杢交えてつみ、部分的に肌目立ち、少しく地斑調の肌合交じり、地沸微塵に厚くつき、地景よく入り、極く淡く映り立つ。
刃文 中直刃、沸出来、匂口明るく冴える。
帽子 直ぐ、先小丸、長めに返る。
茎 大磨上、先殆ど切り、鑢目(上半)切り・(下半)朽ちて不明瞭、目釘孔四、無銘。
説明
国俊は来国行の子と伝え、二字国俊と来国俊三字銘とがあり、同人・別人の両説が唱えられ未だ定説には至っていないが、両者の作風にはある程度の相違が認められ、作風上に於いては区分することが可能である。二字国俊の体配は、身幅が広く亥首鋒の豪壮なものが多く、丁子の目立つ華やかな乱れを焼いているのに対し、来国俊三字銘のものは細身・小鋒か、身幅尋常・中鋒の姿態に、直刃或は直刃調に小模様の乱れを交えた刃文を焼き、総じて穏和な出来口のものが一般的である。但し両者は現存する制作年紀の上からは年代的に無理はなく、近年両者の作風・銘字の再検討による同人説が定着しつつあり、別人説の再考を促している。
本作は、大磨上ながらも輪反り状が深くつき、小鋒に結んだ姿に、地鉄は板目肌に処々杢交えてつみ、地斑調の肌合いが交じって地沸が微塵に厚くつき、地景よく入り、極く淡く映りが立ち、刃文は沸出来の直刃を焼くなど、極めが首肯される処である。とりわけ、緩みのない精良な鍛えに、匂口明るい端正な直刃を焼き、直ぐに小丸に返った品の良い帽子を示すなど、来国俊の見どころがよく示された典雅な趣のある一口である。加えて、この刀は大徳川家の『御腰物元帳』に由来と併せて記載されており、『寛政重修諸家譜』にも下野大田原藩五代藩主大田原純清の時代に、父典清の遺物として本作を徳川家へ献上した旨の記述があるなど伝来が詳らかであり、武家社会の贈答儀礼の証左ともなるなど資料性の点でも評価が高い。
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