鑑定書:Paper(Certificate): 第34回重要刀剣指定
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):武蔵国,東京都(Musashi) 江戸時代末期 慶応元年(Late Edo period 1865)
刃長:Blade length(Cutting edge): 75.5cm(二尺四寸九分)反り:Curve(SORI): 1.0cm
元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 3.18cm 元鎬重:Thickness at the Moto-Kasane: 0.76cm
先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.70cm 先鎬重:Thickness at the Saki-Kasane: 0.65cm
【重要刀剣図譜より】
形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、長寸で、反り浅く、中鋒。
鍛 小板目肌よくつみ、地沸厚くつき、地景細かに入る。
刃文 丁子乱れに互の目・小互の目など交じり、足・葉さかんに入り、匂深く、沸厚くつき、処々荒目の沸交じり、砂流しかかり、金筋入り、匂口明るい。
帽子 表焼深く直ぐに小丸、裏小さく乱れて先尖ってやや深く返り、共に掃きかける。
茎 生ぶ、先入山形、鑢目大筋違に化粧つく、目釘孔二、指表棟寄りに長銘があり、裏に同じく、目釘孔から二字上げて年紀がある。
[説明] 石堂運寿是一は、通称政太郎といい、加藤長運斎綱俊の甥であり、初め綱俊について鍛刀の技を学び、後に六代目石堂是一の禅となり、石堂家の七代目を継いで、是一と称した。明治二十四年、七十五歳で歿したといわれている。彼の作刀期間は、天保の末年から明治初年頃までにわたり、現存するものは比較的多い。作品は大別して備前伝と相州伝の二様があるが、やはり彼の本領は石堂家の御家芸ともいえる備前伝であり、傑作も多い。そして、新々刀期、多くの備前伝の刀工達が匂出来で丁子を焼くのに対して、彼は沸出来で焼いており、ここに彼の独創性が窺える。この刀は、前述の如く、匂の深い沸出来で丁子を焼いて同工の特色を見せている。また、焼刃には金筋や砂流しが目立つなど、刃中の働きが豊富であり、匂口の明るい作柄で、地刃共に健全で出来がよい。
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