脇差 国広(堀川国広)特別保存刀剣鑑定書 新刀最上作 大業物 薫山鞘書
品番:WA-030323
価格 (price)5,500,000円(JPY)
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鑑定書:Paper(Certificate): 特別保存刀剣鑑定書
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai):山城国,京都府(Yamashiro)・江戸時代初期 慶長八年頃(Early Edo period about 1603)
刃長:Blade length(Cutting edge): 40cm(一尺三寸二分)反り:Curve(SORI): 無し
元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 2.67cm 元鎬重:Thickness at the Moto-Kasane: 0.78cm
先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.40cm 先鎬重:Thickness at the Saki-Kasane: 0.65cm
茎:Sword tang(Nakago): 生ぶ、筋違鑢目、目釘孔1個。
体配:Shape(Taihai): 冠落し造、三ツ棟。
彫物:Engraving: 表裏に腰樋と添え樋、梵字が彫刻される。
地鉄:Jigane(Hada): 板目肌よく表れて、ざんぐりとした鍛となる。
刃文:Temper patterns(Hamon): 直ぐ調子に湾れ、互の目を交える。
帽子:Temper patterns in the point(Bohshi): 直ぐで先小丸へ浅く返る。
登録:Registration Card: 神奈川県
【解説】
堀川国広の生国は日向国(宮崎県)で、本名を田中角左衛門と云う。「新刀の祖」、「新刀第一の名工」と名高い同工が、刀剣界に与えた恩恵は極めて大きい。同国城主伊藤氏の家臣として仕えるが、同家は、天正五年(1577)頃に島津家との戦に敗れて衰退する。以後、国広は主家を辞して山伏となり、諸国を鍛刀修行しながら遍歴する。天正十二年(1584)年紀で重要文化財指定の「日州古屋之住国広山伏之時造之」と銘を切る一振がある。世に山伏国広と云われる作品である。これら「山伏打」をもって、国広が山伏として修業する傍ら、鍛刀技術の腕を磨いていた事が認められる。天正十三年(1585)頃に信濃守を受領する。関東に下った国広は下野国(栃木県)の足利学校に入学し、医学、兵学、儒学などを修める。天正十八年(1590)に同国足利城主である長尾顕長の依頼で、同工作刀の中でも広く知られる「山姥切国広」を鍛刀している。この間にも国広は相模、島田、美濃と各地で鍛刀し、現存作に美濃国 陸奥守大道との合作刀などが残る。慶長四年(1599)から京都一条堀川に定住する。国広は慶長十九年(1614)に八十四歳で没するまでに数多くの名工を世に送り出しており、一門には、末弟である国安、大隅掾正弘、出羽大掾国路、越後守国儔、和泉守国貞、河内守国助、平安城弘幸などがいる。中でも和泉守国貞と河内守国助は、後年、摂津国(大阪府)に移住し、大阪新刀の開拓者となる。また初代国貞の門からは、子である井上真改が、国助一門からは、越前守助広の二代巨匠が輩出されている。国広の作風は、天正頃の「古屋打ち」が末関、末相州物の特徴を捉えた作柄。堀川定住後、慶長頃の「堀川打ち」は、相州正宗一門の上工らに私淑した豪放なものとなる。
本作刃長は、一尺三寸二分。身幅重ね共に尋常で、反りはなく、寸が延びた冠落とし姿の脇差。表裏には腰樋と添樋、梵字の彫刻が刻される。地鉄は板目肌が総体よく表れて地沸が付き、国広特有のざんぐりとした鍛肌を呈す。刃文は小沸出来、上半は直刃にやや湾れ心、下半は互の目交じりとなる。総体、沸匂均一に整い、明るく冴えた刃文が焼かれる。帽子はそのまま直調子に先小丸へ僅かに返る。茎には、二字銘で堂々たる銘が切られ、大振りで力強い銘振りから、慶長八年前後の作と鑑せられる。本刀、堀川国広の変わり造の一口。刃文は表裏で揃って気品があり、同工の力感が溢れた出来口である。白鞘、金着二重はばき、特別保存刀剣鑑定書。
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