鑑定書:Paper(Certificate): 特別保存刀剣鑑定書
国 Country(Kuni)・時代 Era(Jidai): 肥前国(Hizen) 江戸前期・慶長頃(Edo era 1615年頃)
刃長:Blade length(Cutting edge): 28.5cm(九寸四分) 反り:Curve(SORI): 0cm
元幅:Width at the hamachi(Moto-Haba): 2.72cm 元鎬重:Thickness at the Moto-Kasane: 0.58cm
先幅:Wide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.2cm 先鎬重:Thickness at the Saki-Kasane: 0.45cm
拵全長:Length of Koshirae : 約 53.0 cm 茎:Sword tang(Nakago): 生茎、切鑢目、目釘孔一
体配:Shape(Taihai): 平造、庵棟。
地鉄:Jitetsu(Hada): 小板目肌詰んで地沸え付く
刃紋:Temper patterns(Hamon): 湾れ基調。
帽子:Temper patterns in the point(Bohshi): 直調子で小丸に返る。
登録:Others: 福岡県
【解説】初代忠吉、元亀3年(1572)~寛永9年(1632)は元亀三年に佐賀郡長瀬(現在の高瀬村)に生まれました。本名は橋本新左衛門尉忠吉と称し、日本刀史上では肥前刀の開祖であり最高位の名工です。若くして鍋島直茂に録二十五石で召抱えられ、慶長元年(1596)25歳のとき、藩命により一門の宗長と共に京の埋忠明寿の門に入り学びます。慶長三年に帰国して、佐賀城下に住し、肥前佐賀藩の庇護のもとに大いに栄えました。元和10年(1624)武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めます。彼は慶長新刀期を代表する屈指の名工です。その作風は青江写し、志津写しなどあり非常に上手であり古作と比べても遜色がないほどです。慶長10年頃より、小糠肌に直刃や湾れ刃、互の目丁子刃などを焼くようになり、肥前刀と呼ばれる作風を確立するに至ります。寛永9年8月15 日、61歳で没す。作品は新刀最高位で位は新刀最上作。更に切れ味も抜群との評価から最上大業物にも列位します。肥前国忠吉、肥前国住人忠吉作、肥前住忠吉、肥前国住人武蔵大掾藤原忠広、肥前国藤原忠広などと銘を切ります。制作の時期により、五字忠銘、秀岸銘、住人銘、改銘後の忠広銘に分かれます。
本作は、刃長が九寸四分。身幅は元先確りとして重ね尋常。刃区が確りと残って、研溜のこぶも無く、殆ど研ぎによる減りが感じられない健全な姿を保つ美しい短刀です。刀も短刀も、忠吉の御刀には何時もながらスタイルの良さに感心させられます。地鉄は、小板目肌が良く練れて詰んで地沸が付く精美な鍛です。刃紋は冴えて明るい、匂口締まり小沸がつく湾れた中直刃で、処々にうちのけ、食い違い刃を交え、二重刃掛かるなどし、刃縁には砂流し、金線が働き覇気があります。鍛が良いからこそ表現できる刃です。帽子は、浅く湾れて先掃きかけるようにして金線も働き、小丸へと上品に返ります。茎は生ぶで、立派に五字忠銘が切られます。すっきりと見映えがする短刀です。附、拵。金着二重はばき、特別保存刀剣鑑定書
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