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日本刀 刀 津田越前守助広(角津田)(二代助広)(新刀最上作)(大業物)(濤瀾刃)
寛文十年二月日
katana [tsuda echizen_no_kami sukehiro] (kaku tsuda) (sukehiro 2 generation) (sintou sai jou-saku) (oh wazamono) (Toranba)
日刀保 特別保存刀剣 NBTHK Tokubetsu Hozon
品番:2010-1120
茶石目塗鞘打刀拵付き 白鞘入り
刃長 Blade length(HA-CHOU)
65.0cm(二尺一寸五分)
反り Curvature(SORI)
0.3cm
元幅 Width at the hamachi(MOTO-HABA)
3.02cm
元重 Thickness at the Moto Kasane
0.71cm
鎬重
0.73cm
先幅
2.16cm
先重
0.48cm
茎
摺上
国 Country(KUNI)・時代 Period(JIDAI)
摂津国 江戸時代前期 寛文十年
musashi edo : The Edo era first half year.KANBUN 10(1670)
登録
埼玉 第17067号 昭和54年9月14日
鑑定書
公益財団法人 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣鑑定書 令和元年十二月二日
【コメント】
津田越前守助広は、寛文十四年摂州打出村に生まれ、初代そぼろ助広の門に学び、明暦元年(1655)師没後、二代助広を継ぎました。
越前守助広、津田越前守助広、と切る。
明暦三年(1657)越前守を受領し、寛文七年には大坂城代青山因幡守宗俊に召し抱えられ、寛文七年八月より、裏年紀だけを草書に切るが表銘はまだ楷書に切った、これを「角津田」と呼び、延宝二年二月の作刀から表裏ともに近衛風の草書体で銘を切った、これを「丸津田」と呼び区別している。
彼の独創になる濤瀾乱は一世を風靡し、鎌田魚妙はその著書『新刀弁疑』で「絶世の名人」として新刀最上位の鍛冶工として称揚されている。
彼が濤瀾刃を形成する指向は、寛文四年頃の大互の目乱れから始まり、同六年前後からその兆しが現われたと考えられる。
時の大阪新刀鍛冶のみならず、新々刀期を経て現代にまで強い影響を与え、助広を規範とする刀工達は数多い。
大阪新刀を代表する津田越前守助広は、東の長曽弥虎徹、西の津田越前守助広と井上真改と言われ最も優れた新刀鍛冶です。
天和二年四十六歳で没しています。
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